×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 
 
競作SS「the letter」/作:静音
 


註:本編中の『ヘルムート』は「君がいた季節」に登場する『ヘルムート・ニュートンジョン』を意味するものであり、このキャラ名の由来と考えられる実在の写真家・故 『ヘルムート・ニュートン』氏とは無関係です。
紛らわしい表記ですが誤解されないようお願い申し上げますと共に、遅れながらヘルムート・ニュートン氏のご冥福をお祈り申し上げます>


「うーん……」
前島正樹は、ニューヨークの自室で机の上に乱雑に並べられた数多の写真の前で小さく唸り声を上げた。
写真を撮る最中よりも、現像し終えてから頭を抱える方が多い。その証拠か、机の上には写真こそ数多くあれど撮影機材やネガは全く机の上に並んでいない。ただ現像の終わった写真を眺めたり手に取ったりして時折小さく唸り声をあげるだけ。
正樹の背後には、柔らかなベージュのコーヒーカップ&ソーサーを手にした女性が暫く前からずっと立っていた。緩やかに波打つ長髪と落ち着いた物腰が彼女の家庭的な雰囲気を際立たせる。
そうして彼を見守っていた女性が漸く意を決し声をかけた。
「正樹くん?」
呼びかけながら右手に持ったコーヒーカップとソーサーを所在なげに差し出す。
カップから薫る芳香で漸くその存在に気付いたか、正樹は手に持った写真数枚を机に置き、
「ああ、ありがとう、やよいさん」
正樹は振り返り苦渋の表情を少しだけ和らげて両手でソーサーを受け取り、すぐさまカップを口に運んだ。ソーサーの上に載った砂糖やミルクは一切加えない。
「あら、お砂糖は入れないの?」
穏やかな笑みを浮かべ一服する正樹を見下ろす伊隅やよいは、そんな些細なことで正樹の成長を感じていた。以前二人が日本にいた頃だったら、正樹がブラックのコーヒーを飲むなんて考えられなかったことだ。
「……え? ああ、」
コーヒーをひと口啜り身じろぎもしなかった正樹は、何秒か間を空けて漸くやよいの質問に反応した。遠くのものを見るような視線を今しがた口から離したコー ヒーカップに向けて、
「こっちじゃずっと、ヘルムートに合わせてブラックばっかりだったからね。もう慣れたよ…それより、やよいさん立ってないでそこ座ったら?」
正樹は自分の正面にある座椅子を指差す。促されるままにやよいは落ち着いた物腰で正樹の正面の空いた椅子に腰かけた。
腰を下ろし終えたやよいは、机の上に置かれた写真を手に取り眺め始めた。
写真を一瞥した限りだと、片っ端から目にしたものを撮影したような乱雑な印象を受ける。改めて一枚一枚を手に取りながらやよいが質問する。
「これ、全部正樹くんが撮ったの?」
「違うのも混じってると思うけど、大抵全部ね。今度雑誌の表紙に使うっていう予定の写真をこの中から選ぼうと思ってたんだけど……」
答えながら正樹は軽い溜息を漏らし、コーヒーカップを口に運んだ。ひと口ふた口飲んだところでカップを再び左手の上のソーサーに戻し、
「あと一息ってとこでちょっと煮詰まってたから、丁度良かったよ。ありがとう」
少し疲れ気味の笑みをやよいに向ける。やよいは彼に和やかな微笑を返した。
その和やかな笑みに何かを見出したのか、正樹はカップから右手を離し、その右手で先程机の上に置いた写真二枚を抜き出し、
「そうだやよいさん、ちょっとこの二枚見てよ」
目の前に座るやよいにその二枚を突きつける。
やよいは少し戸惑いがちに二枚の写真を眺めながら、言われるままに写真を受け取った。そして次の瞬間、写真の被写体に気付き「あっ」と声を上げた。二枚の 白黒の写真の被写体は、何れも伊隅やよい自身だったからだ。
いつこの写真を撮影されたのか思い出せない。しかしこの部屋を背景としたモノクロの写真の焦点は紛れもなく彼女の姿に向けられている。手にした写真に今一 度目を走らせる。

一枚はキッチンで大根を桂剥きしているやよいの上半身の接写。微かに綻んだ頬や手にした大根の質感、背景となっている質素ながら手入れが整ったキッチン、そして包丁を動かす両の腕で包まれた豊満な胸元に至るまで全てが一枚の写真の枠に綺麗に収まっている。

そしてもう一枚は玄関で靴を並べるやよいの背後を収めた一枚。ある一足は乱暴に脱ぎ捨てられ、ある一足は踵を入り口側に向けて整然と脱がれている。そんな靴の一足一足を屈んで丁寧に置き直すやよいの後姿が写ってた。

やよいは写真を凝視しながら、内心密かに気にしてる腰や脚の肉感的な曲線まで活写された錯覚を覚え、気恥ずかしさが込み上げた。
写真に釘付けのやよいを眺めながら正樹はコーヒーを飲み干し、
「家にいる時も何となく写真とってたんだけど……仕事で撮ったものより、もしかしてこっちの方がいいんじゃないか、って思ってさ」
困惑気味に写真を眺めるやよいに対し、落ち着いた口調で声をかけた。しかし写真のモデルであるやよいは自分を収めた二枚の写真に視線を落としたまま、
「でも、『何となく』撮った割にはちょっとエッチな感じがしないかしら……?」
少し躊躇いがちな答えを口にした。そこから数呼吸分の間を空けて、
「もしそう見えるんなら、」
正樹は真剣な含みを持たせて切り出した。
「俺がそういう目でやよいさんのことを見てるってことじゃないかな」
「…正樹くん?」
やよいの視線と声色に少し咎めるような含みがあった。
仕事の上でのことと理解は持ちつつ、まだやよいは性的な表現が先に立つことを好ましく思わない。それは彼女が淑女として躾られ、また彼女も三人の妹をそう躾てきたからだ。彼女の声色の意図を汲み取った正樹は、
「あ、いや、違うよ……男って欲張りだからさ、好きな女(ひと)には母親の顔とか、姉や妹の顔とか、それから恋人とか奥さんの顔とか、いろんなものを一度に求めるところがあってさ、そういうの全部が写真に出たんだと思う。ちょっと後付の理屈っぽいけど、何も俺は覗き見趣味でカメラ構えた訳じゃなくて…」
多少しどろもどろになりつつも、少し熱っぽい口調をやよいに向けた。
「だからそれは、悪戯半分に撮った写真じゃないし、下心で撮った写真でもない。
それだけは分かって欲しい。それから、今思いついたんだけど、出来れば……」
「『この写真を雑誌の表紙で使ってもいい?』…でしょ?」
少し気恥ずかしさのある表情----しかし満更でもないといった感じの表情----を浮かべ、やよいは正樹の言葉を継いだ。
「その雑誌の表紙、私のこの写真で問題ないの?」
正樹は黙って頷いた。
彼の迷いのない首肯の様子を見て、やよいはそれ以上質問せず、ただ穏やかに頷き写真を正樹に返した。


そのやり取りから数日ほど経ったある夜、日本のとある写真家の事務所。

ニューヨークで撮影された二枚の写真が、今ある女性の手の中にあった。
彼女は無駄に広い小洒落た事務所の革張りのソファに深々と腰掛け、気怠げな面持ちで写真を眺めていた。事務所の一角のスタジオは静まり返っており、ブライ ンドから垣間見えるオフィス街のビル群はさながら不夜城。事務所に残っているのは写真を眺める女性一人だけ。
彼女は時折ガラス張りテーブルの上に置いたワイングラスに手を伸ばしながら、暫くの間ずっと手にした写真を眺めていた。それから女性は写真を裏返し、走り書きされた文字を読む。
「……『手料理』に『家族』、ねぇ」
不意に気怠げな声で軽く呟いた。
しかし彼女の表情や声色とは反対に、写真を見る視線は実に鋭い。「穴が開くほど凝視する」と言うが、今の彼女の視線はまさにその様子だ。
「単なるお惚気写真かと思ったら、随分成長してるじゃない」
ひとりごちて、彼女は写真をテーブルの上、綺麗に開封されたエアメールの封筒と手紙の上に置いた。口元に微かな笑みを浮かべて。

この二枚の写真がここから数ヵ月後、日本に残った伊隅三姉妹を大いに驚かせることとなったのだが、それはまた別の話。


<了>

このページ・上端に戻る